忘れないこと

忘れないこと



「お兄ちゃん、あのさ」
「何だ?」
あれから何年も経って、あの事件ももう過去のことになった頃、
私は神社でアルバイトをしていた。
神社の名前は「丁神社」
この町に古くからある神社で、包丁さんをカミサマとして奉っている。
「人の記憶から包丁さんを消すことはできないのかなぁ」
「無理だろ、そんなもん」
あの日決めた償いを果たすために私は色々と頑張った。
無いと思っていた呼び出し方法もまだ紙に残っていたし、
思わぬところから伝わってたりもした。
でもそれらは全てなんとか焼いたりして消した。
まだ残ってるかもしれないけれど、それも全部消す。
でも。
「だって、包丁さんの記憶があったらいずれまた呼び出す人がでてきちゃうよ。
もう、放っておいてあげたいのに・・・・」
今でも覚えている。
包丁さんの帰る瞬間の優しい顔。
きっと、帰れることを喜んでいた。
なのに、また呼び出すなんてこと、されてほしくない。
「消すことができなくても、記録文献とかあの辺とか・・・・。
だめかなぁ」
この町には包丁さんに関することが多すぎる。
この神社があることすらもう包丁さんのことが皆の記憶に残る条件の一つだ。
春には「包丁供養祭」まであるし・・・。
「皆が忘れてしまえばいいのに・・・・」
「・・・・それは、だめだな」
「え?」
私の呟きにお兄ちゃんが答える。
しかも否定。
何故だろう、お兄ちゃんも包丁さんが解放されることを望んでいると思うのに。
「美春、人が死ぬときってどんなときか知ってるか?」
「え・・・?そりゃ・・大怪我したときとか、寿命がきたときとか・・・」
「違うんだ、美春。
人の受け売りなんだけど、人が本当に死ぬときっていうのは
人に忘れられたときなんだ。
人に忘れられたら、本当にその人は死んでしまう。
だって世に生きた証拠がどこにもないんだからな。
だから、だめだ美春。
皆が忘れては、だめなんだ」
「お兄ちゃん・・・」
人に忘れられたとき、その人は死んでしまう。
でも、それならなおさら包丁さん達は皆から忘れられたらいい。
そうしたら、包丁さん達は解放されると思うから。
「そしたら、包丁さん達は解放されると思うよ?
そのほうが包丁さん達にとってよくない?」
私の言葉にお兄ちゃんは静かに首を横に振る。
「それじゃあ悲しすぎる。
忘れられて消えるなんて、誰にも自分がいたことを覚えてもらえないまま
そのまま消えてしまうなんて、悲しすぎる。
人に忘れられたとしても包丁さんが解放されるとも限らないしな。
それに包丁さんは呼び出されるのが、記憶にあるのが嫌なわけでも悲しいわけでもない。
本当に悲しいのは、人を傷つけることなんだよ、美春。
本当は今でも誰かを治すためだけに呼べるなら、きっと包丁さんは笑ってでてきてくれる。
わざわざ呼び出す方法を消さないといけないのは、人間が醜いからだ。
ヒトゴロシなんて用途に使おうとするから、消さないといけないんだ。
用途がまずくなってきたから綺麗さっぱり忘れてはい終わり、じゃ
あまりにも包丁さんは報われない。
・・・なぁ美春、何で包丁さんが奉られてるかわかるか?」
「・・・わからない」
巫女としてアルバイトしてまだ数ヶ月、神主さんと話す機会はあるけれど、
そんなに話す時間なんてない。
「多分、な、忘れないためなんだよきっと。
本当の理由はみんな伝わらないで消えてしまったけど、
包丁さんという犠牲になった果てに生まれた存在がいたんだっていうことを
みんなが忘れないために神社を作ったんだよ、きっと。
この神社を建てた人は罪滅ぼしのためかもしれない。
でも犠牲になった女の子達にだって友達や親はいたはずだ、
今も残っているのはきっとその人達が何とか残そうと思ったんだよ。
忘れないために。
おばあちゃん達が呼び出し方を消したのに神社を壊したりして包丁さんの存在を消さなかったのはたぶんそのせいだ。
全て包丁さんを忘れないため。
犠牲の果てに亡くなった子供たちを忘れないためだよ」
神社の境内に座っていたお兄ちゃんが空を仰ぐ。
空はあの日心に誓った日と同じ青色をしていた。
「そう、かぁ。
忘れることはだめだよね。
忘れずに・・・・うん、そうだ。
包丁さんのこと、むしろ広めてもいいかもしれないね。
包丁さんは病気を切ってくれるんだぞーって。
この神社でも包丁さんは病気から守ってくれる存在として扱ってくれてるんだしね。
包丁さんは怖くないって、そうしたら・・・・きっと」
包丁さんは、報われるんじゃないだろうか。
包丁さんを包丁さんで無くすことは私にはできない。
ならせめてその心が穏やかであれるように、
包丁さんで良かったと思ってくれるように
そう行動したい。

包丁さんは何をしているだろう。
楽しく過ごしているといいな。
包丁さん、私は忘れないから。
ずっとずっと忘れないから。
大人になって結婚して子供が生まれたら
子供に包丁さんは優しいカミサマなんだと教えてあげよう。
その子供が大きくなって結婚して孫が生まれたら、その子にも教えてあげよう。
そしてそうやって包丁さんのことが広まっていけばいい。
包丁さんが幸せになれるように。