逃れられない通過地点
逃れられない通過地点
「じゃあ、行ってくるよ」
いつもと変わらない朝、端から見れば何の変哲もない朝。
少し違うのは、ほんの少しの決心と、いつもより少しだけ早く家をでることだけだ。
玄関のドアをあけて、外にでるとどんよりとした空が広がっていた。
空気は重く、身体も重い。
それでも一歩でて空気を吸い込めば、湿った空気が肺に入り込んでむせた。
今日は・・・アレの決行日だ。
アレをやると決めた日、今日やらないといけないもの。
美代を・・・皆を楽にしてやるって決めたんだ。
たとえアレがまやかしでも単なる噂だったとしても俺はやらなければならない。
万が一の成功にかけて、やらなきゃいけないんだ。
手に入れた情報は信憑性がある。有りすぎる。
だから、この方法が本当だといいと願っているのに、何で
やめろと言う声聞こえるのだろうか
やったら取り返しがつかない。
もしアレが成功したならば、俺たちは人の命を消すことになるからだ。
でも、やらなきゃいけないから、やる。
仕方がないんだ、これしか・・・方法がないんだから。
やらなきゃいけないんだ
ヤメロ
アイツらが死ぬか、アイツが死ぬしか道はないんだから
トリカエシガツカナクナル
だから
ヤッテハナラナイ
だから・・・
イクナ
頼むから・・・
「行かないで!」
「うるさいんだよっ!!」
「あ・・・」
頭に響く言葉がうるさくて、
声にだして拒絶した。
「ご・・・ごめんなさい」
声が聞こえた方へ慌てて振り向くと、そこには年の離れた妹が泣きそうになりながら立っていた。
「わ、悪い美春。今のはお前に言ったわけじゃないんだ」
最後に聞こえた言葉はどうやら妹が言った言葉だったらしい。
それにタイミング悪く「うるさい」なんて言ってしまった。
「ごめんなさい・・・」
美春のせいじゃないと宥めるが、あまり叱られたことのない美春の表情は暗いままだ。
「だから、美春に言ったんじゃないから安心しろ、な?今のは・・・えーと、ほら、そこの犬に言ったんだよ」
適当に言い訳をつけて、美春の頭をなでてやると、美春はようやく俯いた顔をあげた。
「ほんと・・・?」
「ああ、ほんとだ」
笑いながら頭を撫でる。
あのとき本当にタイミング悪く頭に響く声と同じようなことを美春が言うもんだから混同してしまった。
注意しないとな・・・。
「じゃあ、お兄ちゃん・・・今日は美春と一緒にいてくれる?」
「へ?」
「美春、今日はお兄ちゃんと一緒にいたいの」
あまりにも突拍子のない言葉に、驚いて声がでない。
美春はまだ小さいからそういう言葉がいきなりでても仕方ないんだろうが。
「あー・・・、お兄ちゃんは今日は学校なんだ。美春は風邪でお休みだろ?一緒にいれない」
「だめっ!」
「・・・っ!?」
珍しく駄々をこねる美春にどうしようかと悩む。
風邪で、しかも今日は運悪く母さんも父さんも朝早くに仕事にでかけてしまっていない。
心細いんだろうな、とは思う。
まだ小学校低学年で、誰もいない家に一人ぼっちなんだ、そりゃ寂しいだろう。
いつもならここまで言われたら休んだり、せめて美春が落ち着くまでそばにいてやろうか、なんて思ったりもするが今日はだめだ。
今日だけは・・・だめなんだ。
「美春、ごめんな。お兄ちゃん学校があるから行かないといけないんだ。
美春も学校行ってるからわかるだろ?休んだりしちゃだめなんだ」
足にしがみついてくる美春の腕をそっと外し、肩に手を置く。
「できるだけ早く帰ってくるから。
それまで寝てればあっという間だろ」
優しく諭すように言ってやれば美春は大抵納得する。
今はしんどくて心細いだけで、いったん寝てしまえば楽になる。
これは経験論でもある。
「だめ・・・っ!だめなの!」
「美春・・・」
けれど何故か今日に限って美春は首を縦にはふってくれなかった。
「あんまり我侭言うとお兄ちゃん怒るぞ?」
少しきつめに、泣かさないようゆっくりと言う。
今日だけは駄目なんだって、美春。
「じゃ・・・じゃあ美春と一緒にいなくてもいいからどこかに行かないで!」
「美春・・・?」
美春が泣きじゃくりながら俺にしがみつく。
意味がわからなくて一瞬思考が止まる。
どういう・・・ことだ?
「美春、何でそうなるのかさっぱりわからないんだけど・・・」
「だって!だってお兄ちゃんの顔今日変だもん!」
「変って・・・お前なぁ・・・そりゃ俺だって自分の顔のこと、かっこいいとは思ってないけど変とまでは・・・」
「顔だけじゃないもん!手も足も何もかもおかしいもん!何でそんなに暗いの?怖いの?まわりが黒いの!」
「黒い・・・?」
「そうだよっ!変だもんお兄ちゃん!きっと病気だよ!だから・・・だから・・・っ!」
美春の言ってることの意味が何一つわからなくて混乱する。
暗い?怖い?黒い?
出かける前に見た自分の顔は確かに寝不足の体調が悪そうな顔だったが、そんな風な表現をされるほどのものじゃない。
美春は何を見てる?何が見えている?
今日という日に限って?
「違う、違う違う違う・・・」
美春に聞こえないように呟く。
今日アレをするからじゃない。
関係ない。
今日は、ただアレをするから緊張して眠れなくて暗くなってるだけだ。
それを小学校低学年の子が見たらそう怖く、変に見えてしまっただけなんだ。
そうに違いない。
そんなオカルト番組みたいなこと、あってたまるか。
「お兄ちゃん・・・」
美春が不安そうに俺の服の袖をひっぱる。
何故だかさっきから息苦しい。
そうだ、早く学校に行かないと。
今日は大事な大事な用事があるのだから。
「美春」
「?」
美春を優しく抱き上げると、美春はきょとんとした顔で俺を見た。
「仕方ないな、今日だけだぞ?ほら、一緒にいてやるよ」
「ほんとっ!?」
美春が目を輝かして、俺に抱きついてくる。
俺は見張るを抱きあげたままゆっくりと美春の部屋に行った。
「・・・ごめんな、美春」
風邪の薬を飲んでよく眠る妹の部屋を静かに後にする。
悪いお兄ちゃんだな、妹に嘘をつくなんて。
それでも・・・お兄ちゃんにはやらなきゃいけないことがあるんだよ、美春。
大事な友達を救うということを。
きしむ廊下歩き、靴をはき、鞄を持ってドアをあける。
「じゃあ、行ってくるよ」
バタンと閉じたドアと同時に「アーア」という声が聞こえた気がした。
終