君への手紙

君への手紙



「こんにちは、お元気でしょうか」
ここまで書いて鉛筆が止まる。
我ながら捻りのない文章だな、と思うけれど
それ以上に続きに悩んで鉛筆が動かない。
こういうとき、続く言葉は「僕は元気です」だと思う。
普通は。
けれど、ここに形式上でも「元気です」と書くことは僕にはできなかった。
だって、僕は・・・。
ずきり、と心臓が痛む。
ああ、まただ。
ここの空気は良いのか、発作は頻繁に起こらないようになったけれどたまに心臓が痛くなる。
心臓がぎゅーと締め付けられるように苦しくて、悲しくなる。
どうして僕はこんなに弱く生まれてしまったのだろう。
せめて普通であればずっと俊のそばにいられたのに。
僕は元気じゃない。
ずっと・・・元気じゃないんだ。
ちょっとのことですぐ死にかけるこの身体に何度嫌悪したことか。
ようやく治療法がわかったけれど、その治療方法は前例のないもので実験台同然。
しかも場所は日本から離れた遠い異国の地。
今まで日本からでたことなんてない僕にとっては新鮮というより恐怖だった。
日本人学校だから、言葉には苦労しなかった。
日本人が多く住んでいる区域だったから、文化で困ることはそうない。
けれど、不安なんだ。
俊、君がいないことが凄く不安なんだ。
何度も見た悪夢のように君が死んでしまうかもしれない不安
手術が間に合わなくて死んでしまうかもしれない不安
手術が失敗して死んでしまう不安
・・・この場所で発作が起こる不安。
この場で発作が起こっても、きっと誰も助けてはくれない。
もちろん両親や友達も助けてくれると思う。
でも、誰もいないとき、薬を忘れてしまったとき。
そのとき僕は死んじゃうと思うんだ。
今までは俊がいてくれたから、俊が助けてくれたから
僕が一人にならないようずっと一緒にいてくれたから僕は生きてこれたけれど、きっと今じゃ無理だから。
「・・・はぁ。何だかネガティブだよー・・・」
行くと決めて、俊にも送ってもらって、それでも不安は大きい。
なにせ新しい手術の実験台だもの、不安がないほうがおかしい。
不安はたくさん、山盛り。
それでも頑張ろうと思ったのは、それ以上に生きたいからだった。
生きたい、生きて俊と一緒に生きたい。
それを叶えるために僕は不安を押し殺して手術を受けることを決意したんだ。
「神様に一生のお願い・・・は無理だろうなぁ」
あの気が狂うような悪夢。
あれがなんだったのか、今でもよくわからない。
けれど僕はあれが本当にあったことだと思ってる。
何度も何度も俊の死を見せられて、自分の死の苦しみを味合わされて。
それでも神様に必死に願ってようやくここまでこれた。
本当ならあそこで死んでいたかもしれないんだ、それが一生のお願いとひきかえでもおしくない。
だから今回の死ぬかもしれない大手術は本当に僕だけの運だ。
怖い。
でもこれは当たり前のことだから。
あれこそがイレギュラーで助けてもらったことなんだから、今回もなんて虫が良すぎるだろう。
だから、怖くても不安でも頑張る。
それが、俊に送り出されるときに決めたこと。
俊にもらった決意。
「あ」
気が付いたら、手紙に黒い線がたくさんできていた。
きっとぼーと考えているうちにやっちゃったのだろう。
ぐしゃり、と手紙を丸めてゴミ箱に捨てる。
手紙はことん、と音をさせてゴミ箱に入った。
「あー・・・うー」
頭を少しくしゃりとさわって、新しい紙をだす。
綺麗な便箋で少し高かったから、大事に使わないといけないんだけれど。
今度は鉛筆を持たないで考える。
何度考えても「元気ですか」の次が書けない。
これぐらいの嘘、どうってことないけれど、それでも何か矛盾した感じが気持ち悪くて嫌だ。
「元気ですか、を書かなければいいんだけどね」
書かなければいいのに、何故かこれを書かなくてははじまらないような気がした。
ああ、何で僕は手紙の最初なんかにつまづいてるんだろう。
渡航して二週間。
ようやく落ち着いてきて、やっと俊に手紙を書けると思ったのにこのざまだ。
今ごろ俊は何をしているんだろうか。
ちゃんと勉強したりしてるんだろうか。
・・・それを聞くための手紙なのに、出せなくちゃ意味がないじゃないか。
「優希?手紙が届いてるわよ」
しばらく机でうーうー唸ってると、声が聞こえた。
少し心配そうな声は母さんの声だった。
「え?誰から?」
椅子から立ち上がって、ドアの方向へと歩く。
「ええと、ほら、あの子よ。
優希が日本で仲良くしていた俊君」
「え?」
予想外の人物に慌てて扉をあけ、半ば奪うようにして手紙を受け取る。
「ほんとっ!?俊からなの!?」
ええ、ほら、ちゃんと書いてあるじゃない」
母さんの指が宛名をなぞる。
そこには確かに俊の名前が書いてあった。
「うそ・・・」
「優希、俊君と仲良かったじゃない。
優希が全然手紙を送らないから送ってきたんじゃないかしら」
「別に送らなかったわけじゃないよ。
ただ・・・忙しかっただけで・・・」
「はいはい、じゃあ母さんは台所にいるから何かあったらすぐ言うかコールを鳴らすのよ?」
「あ・・・うん。わかった。ありがとう」
手紙をぎゅっと握り締めて、扉を閉める。
母さんが去っていく足音を聞きながら僕はベットに寝転がった。
「俊から、か・・・」
封筒に入った手紙は電灯にすかしても中身は見えない。
俊から手紙を送ってくるなんて思っていなかったという驚きが半分と筆不精な彼がわざわざ手紙を送ってくれたという嬉しさが半分。
何が書いてあるんだろう、高校のこととか・・・まさか彼女ができたとかじゃないよね。
ぐだぐだと考えていても無駄なので、意を決して手紙の封をあける。
手紙は俊らしいシンプルな便箋に無骨な文字で書かれていた。
「敬語をお前相手に使うのはなんか変な感じがするからいつも通りでいくって・・・俊らしいな」
最初の一行目から俊が書いたんだなぁとわかって少し笑ってしまった。
そういうところが、彼らしいのだけれど。

『敬語をお前相手に使うのはなんか変な感じがするからいつも通りでいく。
優希、元気か、俺は元気だ。
嘘だ、元気じゃない。
なんていうか、お前から何の連絡もなくて心配になる。
便りがないのは元気が証拠、とは言うがやっぱり不安なのは不安なんだ。
だから俺から手紙を書くから、返事を返してほしい。
じゃあな。』

たった7行の手紙。
それでも嬉しくて何度も読み返してしまう。
君からの手紙が、言葉が、こんなにも嬉しい。
「あ」
何度も読み返しているうちに、ふと気付いた。
『優希、元気か、俺は元気だ。
嘘だ、元気じゃない。』
「元気じゃない・・・」
本当なら、「元気だ」とくるはずの場所は、反対の言葉で飾られていた。
「元気、じゃなくてもいいんだ・・・」
そうだ、元気じゃなくてもいいんだ。
辛くても悲しくてもいいんだ。
だってこれは手紙なんだから。
相手に自分の気持ちを伝える道具なんだから。
「・・・よしっ!」
俊からの手紙を丁寧に封筒にしまって、僕はまた机に向かった。
鉛筆を持って、綺麗な便箋に言葉を書き始める。
「こんにちは、俊。
僕は・・・元気ではないですが、もうすぐ元気になります・・・」
言葉を、思いを書いていく。
これは恋人に贈る手紙なんだから肩肘張る必要も偽る必要もなかったんだ。
そうとわかったら君への思いを文字にかえて書いていこう。
最後に「愛してます」と書いたら君はどんな顔になるんだろう。
遠いはずの日本での君の反応が目蓋の裏にうかんだで、少し笑えた。